パチンコのない日本を目指して(愛称:パない日)

パチンコのない日本を目指しています。微力ながら。

なぜパチンコがいけないのか(その1)

ギャンブルというのは全てが害悪でしかなく、福本伸行センセの言葉を借りるならば「財産・未来・良心を喰いちらかす、この世でもっとも性悪な魔物」であり、それは決してパチンコに限った話ではないのだけれど、パチンコが他のギャンブルと比べても段違いに凶悪だという事実。これをまず整理しておきたいと思います。

 

 

まずギャンブルとは

 

「目の前の人間を相手にするもの」

「そうではないもの」

 

の二つに大別できるかと思います(自分の勝手な持論ですが)。一番目は、麻雀やポーカーの対人戦を想像してもらえればよいでしょう。闘っている相手の顔が見えるギャンブル。二番目、これは競馬や競艇などの公営競技、そしてパチンコが該当するかと。

 

で、前者と後者のどちらが勝ちやすいかと言えば、これはなかなか難しい問題です。しかし前者には明らかな必勝法があります。「弱い相手と闘う」のです。なにせ相手は人間なので、実力的に自分が優位に立てば勝ちやすくなります。弱い相手を探す手段はいろいろあると思います。たとえば新宿歌舞伎町などの繁華街の雀荘で、明け方も近いようなド深夜にチンピラまがいの雀ゴロを相手にするのと、郊外の駅前にある雀荘で夜の7時とか8時に帰宅前のサラリーマンを相手にするのと、どっちがリスキーであるかは考えるまでもないでしょう。また、学生街の雀荘であれば経験の浅い新入生を狙って春先に行ってみるとか、有効でしょうね。このように対戦相手はさまざまな方法によってある程度は選ぶことができます。

 

ところが後者(公営競技やパチンコ)は、そうはいきません。自分ひとりで巨大な組織に立ち向かう闘いなので、相手の弱みにつけこむこということができません。また、身内での勝負ではないのでルールの決定権もプレイヤーには一切ありません。たとえば麻雀なら「食いタンあり、カン裏なし、それから四暗刻の単騎はダブル役満にしようね」といった具合にプレイヤー同士でルール調整ができます。しかし競馬で「俺は一着から七着までの馬を全て当てたぞ、三連単よりも高い払戻金をよこせ」といっても、一着から七着までの馬を予想する馬券と言うのは現行のルールにないので無理です。またパチンコで大当たりを引いても、「無制限図柄でなければ持ち玉での継続遊戯は不可」というルールの店ではそれに従うしかありません。

 

かように、個人が巨大な組織に立ち向かうのは不利です。でも、それだったら公営競技もパチンコも同じじゃないか、パチンコだけがなぜダメなんだ?と思われる方もいるでしょう。いや、ダメなんですパチンコは。競馬競輪競艇オートレースと比べてもはるかに危険で凶悪なギャンブルなんです。長くなったので次項に続きます。